質量への憧憬【上・下】(2026年10月9日・10日掲載)
50歳、4児の子育てをしている父親です。
26歳の時、ゼネコンを退社し、父の家業である工務店の仕事を手伝うため、沼津に帰ってきました。
その翌年、「官・民・学生が集まってまちづくりを考える」という1枚のチラシを手にしました。
学生時代に都市計画を専攻していたこともあり、その集まりに参加することにしました。
そこで出会った仲間たちとは、20年以上たった今でも親交が続いています。
生涯の友と呼べる人たちです。
その集まりでリーダーとなった私は、大学の卒業論文をまとめる中でたどり着いた一つの考えを、活動の軸にしました。
まちづくりは、建物や道路といったハードをつくることだけではない。
情報や文化、そこで暮らし、行き交う人々といったソフトが充実してこそ、街は活性化していくのではないか。
そんなことを仲間たちと話し、情報発信を中心とした活動を始めました。
その第1弾が、当時、沼津ベーカリーの名物商品だった「のっぽパン」でした。
私たちはのっぽに関する情報を集め、発信しました。
のっぽのデザイナーであるサンディオスの三宅さんに取材に伺ったり、仲間とのっぽを探しに県外まで出かけたりしたこともあります。
のっぽを持って世界を旅した仲間もいました。
「のっぽワールド」というホームページを立ち上げ、運営してくれた仲間もいました。
その後、沼津ベーカリーの閉業が決まり、私たちは「のっぽお別れの会」を企画しました。
情報を発信すると、当日は本当に多くの方が工場に集まってくださいました。
こんなにたくさんの人が、のっぽを好きだったんだ。
あの時の光景と、情報には人を動かす力があるのだと感じたことは、今でも鮮明に覚えています。
その頃から、私自身もブログを使って、沼津の情報を発信するようになりました。
市内のイベントやお店を訪ね、そこで出会った人や出来事を書いていく。
とてもローカルな情報でしたが、始めて5年ほどたった頃には、1日平均500人ほどの方が見てくださるようになりました。
ブログを書いていた頃は、実にさまざまな方との出会いがありました。
そこからも仲間ができ、イベントが生まれ、時には、こんなことが起こるものなのかと思うような場面にも立ち会うことができました。
やがて私と同じように、沼津のことを発信してくださる方が増えてきました。
そろそろ私の役割は終わったかな。
そう思い、ブログを終えました。
事業承継のため、街の活動の一線から退いた頃でもありました。
その少し前、そうした活動を続ける中で、沼津市の総合計画審議会委員を務める機会がありました。
そこで、自分自身の教養のなさに愕然としました。
それをきっかけに、それまであまり手にしてこなかった古典と呼ばれる本を読むようになりました。
何十年、何百年も前に生きた人たちの言葉が、紙を通して自分のところまで届きます。
その言葉に心を動かされ、ものの見方や考え方を教えてもらいました。
そんな頃だったでしょうか。
落合陽一さんの「質量への憧憬」という考え方に出会いました。
質量は、重ければ重いほど壊れやすく、軽ければ軽いほど忘れやすい。
この言葉が心に残りました。
インターネットの情報は、とても軽やかです。
一瞬で届き、遠くまで広がっていきます。
私自身、その力に魅せられ、長い間その恩恵を受けてきました。
一方、本や新聞には重さがあります。
手に取り、頁をめくり、書棚や机の上に置いておくことができます。
昔の人たちの言葉がこれほどまで心に残るのは、その内容だけではなく、紙という少し不便で、重さのあるものを通して出会ったからなのかもしれない。
そんなことを考えるようになりました。
赤ちゃんは、幸せだから笑っているのではなく、笑っているから幸せなのだ。
そんな大好きな一節のあるアランの『幸福論』も、もともとは地元の新聞に書き続けた文章から生まれたものだと知りました。
尊敬する数学者の岡潔もまた、その時々の思いを新聞に寄稿していました。
正岡子規や夏目漱石をはじめ、後に本となり、今も読み継がれている文章の中には、新聞から生まれたものがたくさんあります。
考えてみれば、今「古典」と呼ばれているものも、初めから古典だったわけではありません。
その時代を生きた誰かが、その時に考えたことを書き、それが紙に残り、人から人へ手渡されてきたのでしょう。
偉人たちほど大それたことはできませんが、せめて私も、子どもたちに、その時々に何を見て、何を考えていたのかを、アナログなもの、少しでも忘れにくいものに残しておけたら。
そんな思いもあって、沼津朝日新聞に寄稿文を書かせていただくようになりました。
今朝、その沼津朝日新聞が廃刊になるという記事を読みました。
いろいろな思いがこみ上げてきました。
今はインターネットを通して、簡単にたくさんの文字を読むことができます。
ですから、単純に「活字離れ」ということではないのでしょう。
ただ、新聞や本といった、手に取ることのできる情報に触れる機会は、少しずつ減っているのだと思います。
便利になり、情報はずいぶん軽くなりました。
でも、軽くなった分だけ、忘れやすくなっているものもあるのかもしれません。
紙だからこそ、残るものがある。
紙だからこそ、心に刻まれる言葉もある。
その一つが、この街からなくなってしまう。
新聞には、街の出来事だけでなく、そこに暮らし、行き交う人々の姿も記されてきました。
その姿に触れる機会が、この街から一つなくなってしまうことも残念に思います。
幸い、廃刊まではもうしばらく時間があります。
それまでは、もう少しだけ、この紙面に私なりの言葉を残させていただけたらと思っています。
これまで書かせていただいたことへの感謝と、あとしばらく書かせていただけることへの感謝を込めて。
今朝、新聞を手にしながら、あらためてその紙の重さを感じました。
そのわずかな「質量」を、私はもう少し大切にしてみたいと思います。
文・写真=飯田理一朗(株式会社トップ・ワークス)



