2.5人称(2025年3月11日掲載)

48歳、4児の子育てをしている父親です。

常日頃子供達には、身近な人を大切にし、後悔のない人生を歩んでほしいと願っています。


先日、義母が急逝しました。

昼になっても起きてこない母を案じた義父がベッドに向かうと、すでに冷たくなっていたそうです。

私が妻の実家に着いたのは13時過ぎ。

警察の検証が行われ、医師の診断で「老化による心不全」と告げられたのは15時でした。

前日まで近所の方と交流し、夜は義父といつも通りの時間を過ごしていた母。

翌日は沼津に泊まり、長女のひな祭りコンサートを一緒に観る予定でした。

突然の別れに言葉を失いました。


母は料理好きで、妻の実家に行くといつもたくさんの料理を並べ、「食べて」と勧めてくれました。

義理の息子として応えるべく、完食するのが私の役割になっていました。

義父母と一人娘の妻の築いてきた世界観に、私は子供たちほど踏み込めず、壊さぬように見守ることに徹していました。


母は幼少期の病気で片足に障害があり、歳とともに長時間の歩行が難しくなりました。

義父への負担も増え、昨年夏に沼津への移住を提案しました。

私たちの共働きでなかなか顔を出せない事情から、一応納得してくれ、話は進めたものの、秋に義父が入院すると、母は沼津に来ることを拒否しました。


一人で買い物できない母。

せめてもと、配食サービスの手配を許してもらいました。

義父は退院後も体調はなかなか戻らず、両親ともに食事が十分に摂れなくなりました。

二人の痩せ細っていく姿を見て、何度も「沼津に来ませんか」と話しましたが、母の意思は変わらず、『母が拒否できなくなるまで待つしかないのか…』という思いが去来した昨年末でした。


今年に入り、母の体調はさらに悪化。

嘔吐と下痢を繰り返し、急遽かかりつけ医から「順天堂病院で診察を」と勧められ、妻と話し合い、私が付き添うことにしました。

検査の結果、すぐに深刻な状態ではないとわかり、ひとまず安堵しました。


会計を終え、昼食をとっていなかった父に、病院のコンビニで菓子パンを勧めると、ほとんど食べられなかった母が「私も食べたい」と言いました。

その姿に私は驚き、嬉しくなりました。

母が美味しそうに菓子パンを頬張る姿を見て、「配食サービスをやめ、好きなものを食べてもらおう」と決意。

帰り道にスーパーへ立ち寄り、好きなものを選んでもらいました。


その後、病院通院の前泊として義父母に私たちの家に泊まってもらうことになり、私はその度に母のために食事を作りました。

すると母は、「美味しい、美味しい」と言いながら、おかわりまでしてくれたのです。

その姿に、少しずつでも元気を取り戻してくれるのではないかと期待しました。


病院へ向かう車の助手席では、今まであまり話をしてこなかった母が、たくさんの話をしてくれました。

「昨日のレンコンのきんぴらが美味しかった。私も作ってみたい。」

「大根の煮付けは下茹でしたの?」

私の料理の感想や調理方法の話で盛り上がったり、病院内の診察待ちの時間でも「(妻や父と)こういうことがあった」「元気になったら、こういうことがしたい」と、母は私にたくさんの言葉をかけてくれました。


結婚15年目、こんな日が来るとは思いませんでした。

数を重ね、義父母は沼津での生活が気に入り始めていただけに「もっと早く関係を築けていれば」と悔やまれました。

母の死後、家を整理していると、母が華道の教授免許を持っていたことを知りました。

気付けば本棚には花に関する本が並び、私も茶道を通じて花の話をよく聞いていたので、もし生前に知っていたら、母と私は案外趣味が近くて、もっと語り合えたのではないかと寂しさが募りました。


以前、グループホームでの傾聴ボランティアで「介護は2.5人称で接するとよい」と学びました。

自分を1人称、対応する身内を2人称、他人様を3人称とした時に、身内は時にはちょっと距離をとって、敢えて礼節を持ってあたる。

他人様には、少し距離を近付いて、身内のように愛情を持って付き合う。

この距離感を大切にと教えて頂きました。

しかし、母とは適切な距離を築けていなかったと痛感しました。


後悔は先に立ちませんが、母にできなかったことを、これからは義父にしていこうと思います。

そして、子供たちには私の経験を生かし、大切な人と笑顔あふれる日々を築いてほしいと願っています。



文・写真=飯田理一朗(株式会社トップ・ワークス)

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