帯笑園植松家当主 植松靖博さんを偲んで(2023年5月25日掲載)

46歳、4児の子育てをしている父親です。

常日頃子供達には、長く歩む人生の中で、人との出会いを大切に、生きていってほしいと感じています。


先日、国登録記念物「帯笑園」の植松家当主、植松靖博さんが永眠されました。

直前にお見送りしたばかりで心が沈み、その哀しみを落ち着かせるためにも、この場を借りて靖博さんを偲ばせて頂きます。


靖博さんは父の友人。私が沼津に戻り父の会社に勤めるようになった後、お客様としてお会いしました。

靖博さんは元ホテルマンで、私の粗削りな態度を指摘し、「理一朗君、あなたの挨拶は少々大雑把だ」とおっしゃいました。

私はそこで靖博さんにビジネスマナーの指導を仰ぐと、靖博さんはふたつ返事で引き受けてくださったばかりか、お手製のテキストで丁寧にご指導くださったのでした。


そのテキストには「人を見ない。区別差別をしない」という言葉が刻まれていました。

靖博さんはその言葉通り、年齢差のある私に対しても常に温かく接してくださいました。


ある日の夕方、職場まで訪ねて下さった靖博さん。

「理一朗君、帯笑園保存会に入らないか?」と提案下さいました。

「もちろんです。」即座にお返事したものの、何をしたらいいか不安に思い、尋ねたところ、「沼津市の市史編纂部で植松家の日記が販売されている。それを読み始めてみてはどうだろう?」とアドバイスをいただきました。


早速購入して、本を開いた瞬間に頭が真っ白になりました。

『漢文だ…。』

江戸中期から明治期の手書きの文章が本になっているだけでも凄いとは思いましたが、私は何せ国語が大の苦手でしたし、まして古文漢文なんて、ちんぷんかんぷん。

現代語訳のついていない文章にいきなり心が折れそうでしたが、何とか読み進めていくと、目が慣れ始めてなんとなくですが文章から様々なことが読み取れるようになりました。


筆まめだった歴代の当主たち。

流れ星があったなどといった牧歌的なことから、諍いがあれば仲裁に入るなど東奔西走している当主の姿、江戸中期からの原宿の様子まで。

地元の事象が詳細に描かれているので、それを読むのは非常に興味深いものでした。

その内容を靖博さんにお伝えすると大変喜ばれました。そして、私も嬉しかった。

後に私に読書習慣が付いて、日本や中国の古典も読むようになるのですが、古文や漢文が出てきても、躊躇せずに読めるようになったのは、この靖博さんの勧めがあったからだと感じます。


私の行動にも興味を持って下さっていた靖博さん。

「帯笑園の整備を手伝うとちょっとしたお給金がもらえて、私はそのお給金を長興寺のウクライナへの人道支援の募金箱に入れてくるんだ。

松下住職は茶道にも精通されているので、文化というものを分かってらっしゃる。」

私の子供達と募金活動した沼津朝日新聞の投稿文をご覧になり、にこやかにお話されました。


沼津朝日新聞社をご紹介頂いたのも靖博さんでした。

近年の靖博さんは帯笑園の文化的評価の向上に奔走されていました。

「植物園としての価値はもちろん大事。それと同じぐらい帯笑園にまつわる文化的側面も感じてほしい。」

そんな思いを私に打ち明けて下さいました。


「靖博さん、私は吉田学校に続く三角大福の話が好きなんですよ。

三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫。

自民党総裁の席を狙う派閥争いが注目されがちですけど、私は2つの点に注目していて、1つはその時々の国内外の諸事情で、主流・非主流が何度も入れ替わるのですが、国難に合せるように4つの個性が立ち向かったこと。

もう1つは分裂の危機があっても、一つでいたことです。


諸行無常の世の中です。

今は靖博さんの奔走が空虚に感じることが有るかもしれませんが、時代が変われば文化的な側面にも光が当たるときがやってきますよ。

いろんな方が靖博さんをみています。私も応援しています。」

そんなお話をすると喜んで下さり、「もう少し頑張ってみるよ。」と笑顔でお話し下さいました。


「松の翁」「駿河土産」のお披露目会の帰り、靖博さんにメッセージを送ったところ、「邦楽はすばらしいよね。これからも一緒に学んでいこう」と返信をいただきました。

もっと時間を作って直接お話をするべきだったと後悔しています。


奥様からお電話を頂き、家に戻られているとのことでしたので、お顔を拝見したく伺いました。

奥様に靖博さんとの未練のある話をしたとき、「主人は次に植松家伝統のお茶の作法を披露したいと言っていましたよ」と教えてくださったことが胸に刺さりました。

実は、私は今週から長興寺の松下住職の勧めで茶道の稽古を始める予定でした。

その話を靖博さんにお話していれば、きっと喜んでくださっただろうし、さらに深い話をすることができたかもしれません。

ただただ悲しく、寂しく、寂しく。とても寂しい気持ちになりました。


靖博さんは私に多くのことを教えてくださり、叱咤激励してくださり、人生を歩む道しるべを示してくださいました。

本当にありがとうございました。

貴方との出会いは私の人生に大きな影響を与え、人生の宝です。

今は安らかにお眠りください。

心よりご冥福をお祈りしています。

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