スクラップ&ビルド(2024年9月18日掲載)
48歳、4児の子育てをしている父親です。
常日頃子供達には、手入れをするかのように日常を大切にしつつも、時には一線を越えて自らを壊し、新たな未来に向けて挑戦してほしいと願っています。
先月末にアーケード名店街、解体前の防火建築帯を見学してきました。
この地区は戦後初の美観地区で、大学で都市計画を専攻し「沼津市の都市景観形成」をテーマに卒業論文を書いた私にとっては、少なからず思い入れがありました。
特徴的な歩道は、地権者が歩道空間として自らの土地の一部を開放することで生まれた先進的なもので、現在では様々な場所で当たり前のように目にする共有財(コモン)の考え方に通じ、当時、その先進性に感動したことを覚えています。
老朽化した建物を見ながら、「お疲れ様でした」と心の中でつぶやかずにはいられませんでした。
20歳の夏、私はヨーロッパをバックパッカーとして旅しました。
特に忘れられない思い出は、イタリアのフィレンツェで、ベッキオ橋の隣の橋の欄干でワインを飲みながら、様々な国籍の人々と語り合った時のことです。
酔いに任せて夢中になって話していると、橋を渡っていたある男性に一言声をかけられました。
「おい、ベッキオ橋の上に月が上がっているぞ!」
その言葉を聞いて見上げると、本当に美しい光景が目の前に広がっていました。
美しい街並みに、行きかう人々。
なぜかその時に、高校生の頃に狩野川の土手で、桃屋のパンをかじりながら、見上げた御成橋と月の景色を思い出し、私の故郷もこんな風に人々の思い出に残る場所になればいいと思い、都市計画を志しました。
大学卒業後はゼネコンに就職しましたが、3年後、父に頼まれて沼津に戻り、家業を手伝うことにしました。
当初父に言われるまま、望む通りに仕事をしていましたが、1年ほど経過した夏、叔父から「父は父だ。お前はどのように会社を経営し、生きていきたいのか?」と叱責されました。
当時の私は本当に何も持っておらず、私にできるものは何だろうと悩み苦しみました。
ちょうどその頃、アーケード名店街で開かれていた、官民学連携によるまちづくりを行う集まりのチラシを見かけました。
まずは私のできることから何かやってみようとその集まりの門を叩いたのが、ちょうど20年前の9月でした。
そこで今でも交友のある友人たちや、師ともいえる人と出会い、妻にも出会いました。
卒業論文の研究過程で市内の歩行者ネットワークを考えていた時に、建物といったハードのまちづくりも大切だが、街を歩く人、街を楽しむ人の存在、ソフトのまちづくりの重要性を感じ、卒論の結びとしていたこともあり、仲間たちと自らの手と足で出来るソフトのまちづくり活動を行っていきました。
本当にいろんな人に出会い、いろんな考え方、生き様に触れ、勉強させてもらいました。
そして、沼津で生きる覚悟ができました。
10年が経ち、事業継承の時期が来た時、私はすべての活動に終止符を打ちました。
理由は、私のように沼津で充実した日々を送る人が現れてほしいと願ったからです。
そのためには、まず私がその場を離れる必要があると考えたのです。
余白が生まれれば、新しい創造が生まれるはずです。
そんな私の勝手な考えとは別に、今でも街の中心では様々なイベントや活動が行われています。
今は家族で参加させてもらい、楽しませて頂いています。
影響と派生、破壊と創造を繰り返しながら、街は生きているのだなと感じています。
私は分子生物学者の福岡伸一氏の「動的平衡」の考え方に共感しています。
私たちの体では、日々脳細胞を含め約1兆個の細胞が入れ替わっています。
ただし、万物は自然則:エントロピーの増大の法則からは免れず、秩序から無秩序へ必ず移行していきます。
そんな環境で昨日の私と今日の私が、できる限り同じでいるためには、自らが自らを壊せることと、新陳代謝を早めることが必要であると福岡氏は述べます。
日々生まれてしまうがん細胞も、自らが壊せなければ、増殖します。
新陳代謝が悪くなるということは、老化に直結します。
これは人間そのものだけでなく、人間の営み全てにおいても成り立つことだと私は考えています。
私自身が継続的に私でいるために、自らが自らを壊し、新陳代謝を早めることを意識しています。
人は、続けることを善、断ち切ることを悪と感じますが、それは人類が歩んできた歴史による生命観、子孫繁栄の願いによるものだと感じています。
ただし、生命として続くためには、破壊による創造の為の余白が必要です。
子どもたちには、日々の生活の中で大切なものを守りながらも、自らを壊して新しい未来を創造して生きていってほしいと願っています。


