センスを育む(2025年9月9日掲載)
49歳、4児の子育てをしている父親です。
日頃から子どもたちには、たとえそれがはっきり言葉にできないものであっても、五感を使って感じ取り、それを自らの感性を育む礎として受け取っていってほしいと願っています。
今年のゴールデンウィーク、義父の故郷へ向かう途中に、念願だった岩手県花巻市の宮沢賢治記念館に立ち寄ることができました。
誰もが一度は触れる賢治の世界観。
子どもたちも大好きで、以前、本屋で家族が思い思いに本を探しているとき、三女が『セロ弾きのゴーシュ』を見つけて私のところへ持ってきてくれました。
好きなものを共有できる、その小さな出来事が、私には大きな喜びでした。
記念館に入って改めて感じたのは、賢治の博学ぶりです。
古今東西の哲学や宗教、芸術に精通していることは、その作品からも感じ取ってはいましたが、それらが一つの空間に凝縮されていると、まさに圧倒されます。
37年という短い人生を、全力で駆け抜けた人だったのだと、強く胸に迫りました。
館内を巡るうちに思い出されたのは、土壌学研究の第一人者・藤井一至氏の文章です。
人類の歴史は土壌の酸性化との闘いでもあります。
そのなかで農家の暮らしを少しでも豊かにしたいと、研究成果を携え各地を奔走する賢治の姿が描かれていました。
酸性土壌への対策として農業指導や石灰肥料の普及に尽力するその姿は、まさに『雨ニモマケズ』の賢治を彷彿とさせ、命を賭して人々を支えようとする心に胸を打たれました。
そして記念館で最も心を惹かれたのは、『生徒諸君に寄せる』の文章でした。
「諸君はこの颯爽たる 諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか…」
どれほど苦しく暗い環境にあっても、未来から吹き寄せるその風を感じ取り、分からないなりに一歩を踏み出していく。
子どもたちとともにその文章を眺めながら、私自身も勇気をいただいた思いがしました。
賢治の言葉は、ただ目で追う文字にとどまらず、私たちの五感そのものを揺さぶります。
どっどど どどうど どどうど どどう
『風の又三郎』の冒頭に響く擬態語は、世界を一変させるほどの激しさを伝えてきます。
北から冷たい風が来て、ひゆうと鳴り、はんの木は本当に砕けた鉄の鏡のように輝き、かちんかちんと葉と葉がすれあって音を立てたようにさえ思われ、すすきの穂までが鹿に混じって一緒にぐるぐる巡っているように見えました(『鹿踊りのはじまり』)。
言葉のリズムと表現力、その一つひとつに賢治の鋭い感性が息づいています。
その源泉をたどれば、『注文の多い料理店』の序に行き着きます。
「わたくしのおはなし」は自然のあれこれから「もらってきた」だけであり、「なんのことがわけのわからないところ」は「わたしにもまた、わけがわからないのです」。
この言葉に触れたとき、私たちは“分かろうとし過ぎている”のではないかと気づかされました。
分からないなら分からないままに、ありのままを五感で受け止め、自分の中に取り込む。
それが感性を育む土壌になるのだと感じました。
記念館を後にし、賢治のセンスを育んだ花巻・遠野の風景を、子どもたちとともに眺めながら旅を続けました。
賢治について調べるうちに、父・政次郎さんの深い愛にも心を打たれました。
純粋無垢で何事にも熱心に突き進む息子。
息子へ贈った思考の広がりが自らの望みと違う方向に向かい、確執を生んでも、それでも金銭を工面し応援し続ける。
結核の症状が和らいだものの、死を覚悟しながら石灰肥料の普及に乗り出した賢治に、その舞台を用意したのも政次郎さんでした。
娘トシの葬儀で生まれた賢治との深い溝も、賢治の死から十八年後、家の改宗という形で寄り添います。
きっと政次郎さんにとって賢治の行動は理解を超えていたでしょう。
それでも「分からないなりに」息子を受け入れ支え続けた。
センスを育むには、親の深い愛情も欠かせないのだと、身の引き締まる思いがしました。
AIが発達し、あらゆるスキルがあふれる時代。
これからは「何を知っているか」以上に「何を感じ取れるか」が問われるようになると思います。
子どもたちには、分かることはAIに任せ、分からないことにこそ耳を澄まし、自らの五感を研ぎ澄ませて時間をかけて育んでほしい。
それが未来を歩むための、何より確かなセンスになるのだと信じています。
さて、きたる10月5日(日)、沼津御用邸記念公園東附属邸にて小学生を対象とした「はじめてのお茶会」が開催されます。
参加費は1名800円(幼稚園生、ご父兄も可)、事前予約制で、申込締切は9月14日です。
お申込みは966-0125(事務局:長興寺)までお願いいたします。
御用邸の静謐な空間で、お茶を通じて感性を養うひとときを、どうぞ心ゆくまでお楽しみください。
文・写真=飯田理一朗(株式会社トップ・ワークス)


