公園のルール看板(2022年10月21日掲載)

46歳、子育て中の4児の父親です。

常日頃、子供達には固定観念にとらわれず、多角的な視野を持って、未来へ意思をもって歩んでほしいと考えています。


先日、沼津朝日新聞の報道にてローカルマーケットというイベントが沼津市内各所の公園等で開催されていることを知り、素晴らしいなと感じていました。

主催者、協力者それぞれの身の丈で出来ることを持ち寄る。

公園に笑顔があふれ、分かち合っている姿が紙面から想像でき、幸せな感情を抱きました。




何でもできる公園。

コモン(共有地)のあるべき姿として理想的な形だと私は感じます。

ただその実現には、コモンにおける滞在者の規範的な行動が求められます。

それを表現したものが「公園のルール看板」だと思います。




以前に公園でこの看板を眺めていて、『〇〇禁止』『~してはいけません』など、バツの付いたイラストが溢れていて、胸にモヤモヤしたものを感じていました。

その頃でしょうか。

とある男性から、原の浅間神社入口に高札場を復活させたいので、設計と見積りをしてほしいと依頼を受けました。


高札場というものを知らなかったですし、雲をつかむような話でしたが、その男性の熱意と単純に面白そうな話と感じ、お引き受けしました。

設計図と見積書は完成し、その男性にお渡ししたところ、有志を集って実現したいと仰って持ち帰られました。

現在ではクラウドファンディングが一般化していますので、もっと早くこのような仕組みが普及していれば、流れは変わっていたかもと当時を振り返ると感じます。




高札場の設計を通じて、様々なことが勉強になりました。

高札のサイズや掲げられていた高さなどから調べはじめ、どんなふうに当時の地元の先輩方は高札を眺めていたのか、現代ならどんな高札を掲げるのか、想像を膨らせていきました。

いろいろ調べていく中で、気付いたのは高札の内容には禁止令が多かったということ。

代表的なものは歴史でも習う「五箇条の御誓文」。

なるほど、公園のルール看板の原点はここにあるのだなとその時結びついたのでした。




そして、それと同時に新たな疑問が浮かびます。

『地元の先輩方はどんな心持ちで、これらの否定文を眺めていたのだろうか。』




日本は自己肯定感が低い国だと言われています。

様々な要因が考えられると思いますが、その一つに、内省的自省的なふるまいを是とする儒教や仏教といった東洋思想が、言語を通して他者を感化させるに留まらず、いわば他省を求めてしまっていることへの影響が大きいと感じています。

『~してはいけません』そのような否定的な言葉が溢れていては、自己肯定感はなかなか上がりません。

様々な自然災害や困難をこの地で乗り越えてきた先輩方は、どのような心持ちで生きていらっしゃったのか。

この疑問の解決口は意外なところにありました。




時間と記憶について調べていた頃、時間の存在は疑わしいということを知ると同時に、ある文章が私の目に飛び込んで来ました。

「江戸時代以前の日本人は、時間は未来から過去へ流れていると感じていた。」

その文章の真偽を確かめるべく深掘りすると、江戸時代の和時計にその痕跡を見つけることが出来ました。

資料を読むと江戸時代初期の和時計は指針が静止し、文字盤が回転すると書かれています。

その和時計が動く姿を想像してみて下さい。次の時間がどんどん指針にやってくる。




『時間は未来から過去へ流れていく』

確かにこの感覚が無ければ、こういった時計は作らないですし、この時計を眺めていればそういう感覚が育まれていくであろうと想像がつきました。

『時間は未来から過去へ流れている』この感覚を持ったうえで、高札を眺めたらどうでしょうか。

私は未来へ踏み出しやすいと感じました。


未来はどんどんやってくる。

行動を起こさなければならないのに対し、出来ないことだけわかっていれば、それ以外は行動して良いと判断し、先へ進めます。

逆を言えば、出来ることが並んでいては、どれを選択して良いか迷います。

高札に書かれていないことは出来るのだろうか。

迫ってくる未来に対し、一歩に躊躇が生まれやすいかもしれません。

否定文にあふれた高札は先輩方にとっては、むしろ生きやすくしてくれる指標だったのです。




私たち現代人は西洋思想の影響を大きく受け、いつの間にか時間は過去から未来へ流れているという感覚が当たり前だと感じるようになりました。

そういった固定観念が現代の私たちを苦しめているかもしれません。

公園というコモンにあるルール看板の、表面上の文章の行間に、先輩方の未来へ生きる知恵が隠されている。

そんな感覚を感受しながら、現代人の我々が公園で時間を過ごせたら、素晴らしいなと感じています。




来たる10月30日(日)11時より沼津港にありますコモン、港口公園にて、杉原千畝夫妻顕彰碑・碑前祭「命のビザ希望の集い」が開催されます。

平和な未来を願い行動した杉原夫妻の気持ちに寄り添い、沼津の地から多くの方々と人道を伴った平和な世界の実現を願えたらと考えています。

ご賛同頂く多くの方に足を運んでいただけたら幸いです。

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