同じ白、違う青【上・下】(2025年8月6日・7日掲載)

48歳、4児の子育てをしている父親です。 

日頃から子どもたちには、「同じ」と「違う」のあいだを楽しみながら、人生を歩んでほしいと願っています。


2年ほど前から、週末になると子どもたちと1週間分の夕飯の献立を話し合い、キッチンの黒板にメニューを書き出し、まとめて買い物に行くのが我が家の習慣になりました。

冷蔵庫の残り物をチェックし、スーパーへ。

いつものルートで、キャベツにレタス、ピーマン、にんじん、しめじにトマト。

豚コマ、むね肉、鮭にソーセージ。

最後に乳製品や卵、パンをかごに入れる。

作るメニューは変わっていても、この流れはほとんど変わりません。

たまに頂き物で変化があるものの、食材としては毎週ほぼ同じようなものを食べていることを実感します。


同質なもので満ちた現代社会。

スーパーに整然と並ぶ野菜や肉を見ても、効率を追求した大量生産・大量消費のシステムが生み出す「同じ」を強く感じます。

本来ならば自然の中にあったはずの矛盾や差異は排除され、かわりに価格の安定や時間の効率といった恩恵が、私たちの手元に届いています。

アスファルトの道路、テレビの映像、パソコンのキーボード。

私たちは、整えられた世界、つまりデジタル社会に生きていることを日々実感します。


人類は進化の過程で、「同じ」を求め続けてきたのではないかと私は思います。

その最たるものが「言葉」です。

言葉の誕生によって、細かな差異は削ぎ落とされながらも、コミュニケーションが可能となり、認識を共有できるようになりました。

さらに、文字や数字の登場によって、声が届く範囲を超えて、時間も空間も超えて多くの人と関係を持ち、アイデアを掛け合わせ、文明を豊かに発展させることができるようになったのです。

「同じ」を生み出すことは、人類にとっての喜びであり、進化の証でもあります。

私たちは「同じ」であることに、安心や幸せを見出してきたのかもしれません。


ここで、唐突ですが『平家物語』の冒頭に触れてみたいと思います。


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。

おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。


日本人なら誰もが知る、世の理(ことわり)を表したこの文章。

改めて読むと、不思議なことに気づきます。

鐘は金属でできた剛体。

剛体には固有振動数があり、叩けば毎回同じ音が鳴る。

響く音は常に一定のはずなのに、なぜ「諸行無常」なのでしょうか?



答えは、昔の人たちも知っていたのです。

無常なのは、鐘の音ではなく、それを受け取る私たち自身だと。

同じ音が鳴っているのに、今日はなぜか違って聞こえる。

日々変化していく自分自身に、耳を澄ませていたのだと思います。

同じ音の中にこそ、自らの移ろいを感じ取っていたのではないでしょうか。


昨今、AIの進化は目覚ましく、「いずれホワイトカラーの仕事(知的労働)はAIに奪われ、人間にはブルーカラーの仕事(身体的・感覚的労働)しか残らないのではないか」という議論が活発になっています。

そうした話を耳にすると、漠然とした不安を覚えることもありますが、あらためてそれぞれの仕事の本質を丁寧に考えてみることで、むしろ未来の姿がよりクリアに見えてくるような気がします。


AIに奪われやすいホワイトカラーとは、たとえば、小さな違いや不都合を取り除きながら、多くの事例から共通点を見出し、誰が使っても同じように使える仕組みを整えていく。

そんな思考や営みではないでしょうか。

それに対してブルーカラーは、決まった正解があるわけではありません。

その日、その場、その人ごとに少しずつ異なる条件に向き合いながら、その都度考えをゆるやかに調整し、形を整えていく。

揺らぎや矛盾をまるごと受け入れて対応していく、そんな柔らかさをもった実践なのだと私は感じています。


ホワイトカラーの思考は、抽象性を高めて「同じ」をつくっていくもの。

確かにAIとの親和性は高いですが、現実の世界は、いつも「1+1=2」とはなりません。

「1」の中に、本来ならそぎ落とされていた小さな違いや不都合、つまり矛盾が含まれていることで、導かれる答えは大きく変わってくることもあるのです。


「違う」が生み出す矛盾と常に向き合うブルーカラーと同様に、ホワイトカラーもまた、「同じ」を生み出す過程で矛盾とどう向き合うかが、これからの鍵になるのではないか。

そう感じています。

それは、人類がこれまで文明を築くために取り除いてきた「矛盾」と、あらためて向き合い直すという、いわば真逆の思考です。

未来において、私たち人類に求められるのは、「矛盾」とつきあっていく姿勢そのものではないでしょうか。


AIは、今後の社会において欠かせない存在になるでしょう。

だからこそ、子どもたちには、AIに頼るだけでなく、ときに立ち止まり、自分自身の感覚や判断でものごとを見つめ直す力を持っていてほしいと願います。


「同じ」と「違う」。

そのどちらかに偏るのではなく、そのあいだを行き来しながら、自分の暮らしをつくっていく。

同じように見える毎日にも、ほんの少しずつ違いがあり、そこにこそ“生きていること”の実感があるのだと思います。

「同じ白」と「違う青」、そのあいだに広がる揺らぎのなかで自分らしい色を見つけていってほしいと願っています。



文・写真=飯田理一朗(株式会社トップ・ワークス)

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