金魚葉椿と「なる」文化(2023年6月24日掲載)
46歳、4児の子育てをしている父親です。
常日頃子供達には、自身を育んでいる風土に愛着と感謝をもって、生きていってほしいと感じています。
一昨年の年末のこと。
家族で食事をしていると、突如父が千葉の伯母から椿をもらい受けることにしたと言い出し、寝耳に水の話に我が家でちょっとした騒動がありました。
伯母が大事に育てていた椿は、金魚葉椿。
その名の通り葉先が三つに分かれ、まるで金魚のような形をしている葉が特徴の椿で、伯母が喫茶店を経営していた時にお客様から頂き、わざわざ東京から千葉まで移植したとのことでした。
大事に育ててきた椿だけに、誰かに貰ってほしいとの伯母の呟きを聞き、父は約束をしてきたとのことでした。
下見や準備、コロナ禍を経て、今月やっと我が家の玄関先に椿を植えることができました。
きっかけは父の思い付きではあったものの、子供達を見送り、出迎えてくれる玄関先に、照葉樹があってほしいと昔から思っていただけに、私としても嬉しく感じています。
葉の表面の角質層が発達し、太陽の光を浴びると光り輝く、深緑色の葉を持つ照葉樹。
その植生範囲は、ヒマラヤからブータン、華南、台湾から日本といった地域で、温暖で夏に雨が多く、冬に乾燥する気候に植生しています。
実はこれらの照葉樹の植生地域にすむ民族には、文化的な共通点がいくつかあり、照葉樹林文化圏という言葉もあります。
その代表的な文化の一つが、「なる」の概念を持っていることです。
野球界のスーパースターであるイチローの引退会見をみていた時のこと。
彼の口から発せられた言葉が気になりました。
「今日のゲームを最後に、日本で9年、アメリカで19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。」
英文スピーチをチェックすると、『I retired』。
「引退します」ではなく、「引退することとなりました」という言葉を使う彼に、日本人らしさを強く感じたのでした。
私たち日本人には当たり前の「なる」の概念ですが、世界的にはユニークな概念です。
特に砂漠で生まれた宗教や自然を制してきた西洋文明においては、モノは生むものであり、作るもの。
自然と実がなるといった自然発生の概念は、感覚的につかみにくいようです。
この感覚の差異を、来日したドイツ人哲学者オイゲン=ヘリゲルの逸話がよく表しています。
日本の禅を学ぼうとした彼は、ピストル射撃に自信があったので、同じ的を射る競技として、弓道の先生に弟子入りします。
もちろん彼も容易に禅を理解できるとは思ってはいなかったでしょうが、弓道における日本の精神性、『無心となれば、自ずと的を射る』という感覚は理解できなかったようです。
無我の境地というべき、矢が弓から放たれる状態を
「竹に積もった雪が、しなった枝からついに落ちるさま」
「熟れた果物が、枝から落ちるさま」
と先生は比喩されたそうですが、合理的でない感覚的な説明に彼は納得できなかったようです。
私たち日本人が持つ「なる」という感覚は、この自然豊かな日本の土地に生まれ、そこで育つからこそ培われるのかもしれません。
私自身も「なる」という言葉を使うことによって、この風土を尊び愛していきたいと感じています。
昨今グローバルスタンダードの名のもとで、日本人らしさが失われているように感じます。
しかし、子供達には金魚葉椿を眺めながら、世界の多様性を形成する一翼として、この風土から育まれる日本人らしさを大切にして、生きて行ってほしいと感じています。


