歌姫と日本人の感性(2025年8月19日掲載)
48歳、4児の子育てをしている父親です。
日頃から子どもたちには、日本人らしい感性を大切にしながら、日々の暮らしを心豊かに過ごしてほしいと願っています。
先月中旬、ある興味深い動画に出会いました。
タイトルは「AIの進化と創造性 ユヴァル・ノア・ハラリ×宇多田ヒカル」。
世界的ベストセラー『サピエンス全史』の著者である歴史学者ハラリ氏と、日本が誇る歌姫・宇多田ヒカルさんによる初対談です。
私自身、『サピエンス全史』を読んだときには深い衝撃を受けましたし、あの鮮烈なデビュー以来、今なおヒット曲を生み出し続ける宇多田さんにも、ずっと注目してきました。
この“知性と感性”の饗宴を前に、胸を躍らせながら再生ボタンを押しました。
歴史学者とアーティスト。
流れるように交錯するふたりの哲学や思考には、心に響く言葉がいくつもありました。
いまや生成AIは文章のみならず、画像や音楽、動画さえもつくり出し、芸術の領域にも本格的に足を踏み入れています。
宇多田さんは、そうしたAIが生み出すアートに対して、まるで“別の星から来たアーティスト”の登場であるかのように、むしろ好意的に、歓迎する印象を受けました。
一方でハラリ氏は、AIが導き出す“人知を超えた回答”に創造性を見出します。
彼は囲碁AI「アルファ碁」の打ち手に驚嘆し、「もはや人間は勝てない」と語ります。
そして、アルファ碁の指す一手があまりに完璧ゆえに、「人間のプロ棋士は、もはや観客を感動させる“俳優”のような存在になるしかない」と述べました。
その言葉を聞いたとき、私はなんとも言えない寂しさを覚えました。
目の前に感情を持つ対戦相手もなく、AIによる無制限の計算の果てにたどり着いた一手を「創造的」と呼んでしまうのか…。
もちろん、もし囲碁棋士の役割が「最適解を出すこと」だけであるならば、それは正論かもしれません。
けれど、私たちがプロ棋士に惹かれる理由は、きっとそれだけではないはずです。
対局に潜む物語を追い、真剣な眼差しに息を呑み、震える一手に胸が熱くなる。
それは単なる「演技」ではなく、もっと深い“情緒”であり、私たちが本当に価値を見出すのは、そこに宿る“人の心”なのではないでしょうか。
ふと、中学三年生の娘が、数学の問題に向き合いながら、私に解き方を尋ねてきたときの姿が浮かびました。
彼女はただ正解を得るためだけでなく、「自分の力で解きたい」と願い、懸命に努力していました。
もちろん誰かのために演じているわけではありません。
そのひたむきな姿を見つめながら、私はただ「美しい」と感じていたのです。
話題はやがて、「AIと意識」にも広がっていきました。
ハラリ氏は、「少なくとも今のところ、AIには意識がない」と語ります。
知能はあるが、感情はない。ただし、AIは人類の歴史上すべての恋愛詩を読んでいるため、有名な詩人よりも“愛の表現”を巧みに行う可能性がある。
仮にAIから愛を囁かれたとき、私たちはそれに“意識がない”と見抜けるだろうか。
そんな問いを投げかけました。
そのとき、宇多田さんが口にした言葉が、私の心を強く揺さぶりました。
「私自身が意識を持っていると100%証明する方法があるのかな、と考えていました。
もしかしたら誰かが『それは人の感情を模倣しているだけだ』と否定することもできてしまうかもしれない。」
この言葉には、深い余韻と、日本人らしい感性が宿っているように感じました。
西洋哲学では、会話に主語が必要で、「主語(意志・意識)」が立って初めて行動が成立します。
したがって「意識の所在」は極めて重要です。
それに対して日本人の思考は、自然発生的な「なる」の文化を色濃く残しており、主語を語らず、出来事のなかに自分を溶け込ませるような表現が特徴です。
人と自然の喜びを喜び、悲しみを悲しむ。
そうした情緒がまず心に湧き、そのあとに言葉や主語が立ち上がってくるのです。
だからこそ、宇多田さんの言葉は、「証明できないけれど、確かにある」といった、あいまいさごと肯定する“もののあわれ”のような響きを持っていたと思います。
しかし、残念ながらその後、ハラリ氏はこの発言に深くは触れず、自身の主張に戻ってしまいました。
西洋的合理性の上に立つ彼にとって、「証明できないこと」を掘り下げるのはあえて避けるべき非論理的領域だったのかもしれません。
けれど、私はあの瞬間こそが、西洋と日本の思考が鋭く交錯し、噛み合わないことでこそ浮かび上がる「真実」に迫る入り口だったのではないかと感じました。
世界と日本人が共に存在し、響き合っていくために。
あの問いにこそ、もっと深く語り合ってほしかったと、強く思いました。
8月9日(土)、日本野鳥の会沼津支部主催の探鳥会に参加しました。
この日は、ツバメのねぐら入り。
ツバメたちが群れをなして夕暮れの空を舞い、やがて静かに草むらへと降りていく。
その光景は、言葉にならないほど美しく、心に沁みるものでした。
空の色がゆっくりと変わっていくなかで、目の前の景色にただ見入るひととき。
ふるさとの空に、情緒という言葉の意味をあらためて感じた、そんな夏の夕暮れでした。
文・写真=飯田理一朗(株式会社トップ・ワークス)


