ある朝、あの言葉(2026年2月4日掲載)
49歳、4児の子育てをしている父親です。
年始から始まったグループホームのリフォーム工事中の、ある朝。利用者のお爺さんが亡くなりました。
施設内に悲壮感はありません。
静かで、いつもと変わらない朝でした。
生と死が、特別なものではなく、日常のすぐ隣にある場所なのだと、あらためて感じました。
「私たち、ネクタイ縛れないから、社長が締めて。」
お爺さんにネクタイを締めてあげたとき、その姿が一瞬、義父の姿と重なって見えました。
思い返せば、昨年の春、病院で義父の診察に立ち会った際の、ある医師の言葉が今も心に残っています。
「いつ施設に入れるのですか?」
その言葉を聞いた瞬間、感情が抑えきれなくなりました。
一昨年の秋、義父は体調を崩し入院しました。
退院後も胃腸の調子が戻らず、下痢が続き、精神的にも不安定な状態が続いていました。
認知機能の低下も見られたため、MRI検査を受けましたが、特に異常はありませんでした。
体調が回復しないまま義母が亡くなり、義父の不安はさらに強まりました。
総合病院であれば、電子カルテを通じてこれまでの経緯は把握できたはずです。
ましてや、数分の診察を3か月に一度しているだけの状況で、なぜそのような言葉が出てくるのか。
医師という立場でありながら、その判断が私には理解できませんでした。
5月に入り、義父は沼津に移住し、7人での暮らしが始まりました。
慣れない住環境と体調不良が重なり、粗相も続き、その申し訳なさから、義父の精神的不安はさらに増していきました。
引っ越しを機に病院を変えたところ、以前処方されていた薬の中に、下剤成分を含むものが複数あることが分かりました。
まずは薬を止め、体調回復を優先し、時間をおいて改めて診察を受けることになりました。
すると、義父の体調は徐々に回復し、食事もきちんと摂れるようになりました。
精神的な不安定さも、次第に落ち着いていきました。
ただ、認知機能は回復せず、改めて診察を受けた結果、アルツハイマー病を発症していることが分かりました。
介護保険の認定を受け、現在は週に2回、はらデイサービスセンターに通っています。
生活のリズムが整い、7人で囲む夜の食卓では会話も弾みます。
子どもに合わせた食事ですが、義父はいつもきれいに完食します。
いつの間にか、粗相もなくなりました。
週末のまとめ買いにも付き合ってくれます。
もし、私たち夫婦が精神的にも体力的にも弱っていて、あの医師の言葉をそのまま受け止めていたら。
義父の人生は、大きく変わっていたかもしれません。
あの医師にとっては、認知症の方とその家族にとって、施設での生活が最善だという考えだったのだと思います。
そう考えると、悲しさが残りました。
沼津に引っ越してきた義父には、身近な友人がいません。
介護認定が下り、デイサービスに通えるようになるまでの間、ボランティアという形で、はらデイサービスセンターに義父と一緒に麻雀をしに通いました。
後ろから麻雀を見守り、所作を見ているうちに、義父の人となりを改めて知ることになりました。
義父は礼儀正しく、紳士的です。
ふと私から離れて歩いていくと、ある男性に丁寧にお辞儀をし、挨拶とお礼を述べていました。
人間、最後に残るのは、その人の本質なのだと感じました。
認知機能が低下しているため、間違えることもありますが、私は口を出さず見守ります。
麻雀は、コミュニケーションの手段でもあります。
間違えたら謝ればいい。
そのやり取り自体が大切なのだと感じました。
驚いたのは、対戦相手に振り込まないよう真剣に悩み、手詰まりになれば、自ら局面を打開しようと考える姿でした。
人は、最後まで考え、選びながら生きているのだと感じました。
現在、弊社が発行している地域新聞のチラシ挟み込み作業を、はらデイサービスセンターさんにお願いしています。
できることの喜びを忘れず、できることを奪わず、できることをする。
その積み重ねが、とても大切なのだと感じています。
誰もが「さいごのさいごまで、自分のことは自分でできて、コロッと逝けたらいい」と願っています。
しかし、その願いとは裏腹に、認知症になり、要介護状態になります。
なりたい人がなるわけでもなく、なりたくない人がならないわけでもない。
コントロールできないのです。
認知症は、特別な誰かの話ではありません。
それは、ある日ふいに、私たちの日常の隣に現れます。
あの朝の出来事と、あの言葉を思い出すたびに、認知症を切り離すのではなく、地域の中で、家族の中で、共に在るという選択を重ねていくことの大切さを、あらためて感じています。
文・写真=飯田理一朗(株式会社トップ・ワークス)


