70点のテスト(2022年7月1日掲載)
45歳、子育て中の4児の父親です。
常日頃、子供達には様々な事象に興味を持って臨み、積み上げる記憶を礎にして、自分らしく生きていってほしいと考えています。
先日帰宅すると、家の中が険悪な雰囲気に包まれていました。
娘が70点のテスト結果に喜んでいたことに対し、妻が満点を目指さずに満足していることを指摘したために、娘がへそを曲げてしまったようでした。
夕食をとりながら詳しく事情を聴くと、どうやらそのテストのクラス平均点が低く、70点という点数はクラスの中ではよい点数だったようで、娘は妻に褒めて欲しかったようでした。
私は娘からそのテストを受け取り、よくできていることを伝えながら、
「テストにはいろんな種類があって、このテストは先生が全部覚えてほしいと願ったテスト。
それに全力に応えることが大事であって、お母さんはそのことを伝えたかったのだよ。」
と話しました。
一応、娘も納得したようで、険悪な雰囲気は解かれました。
ちなみに家族団欒の空気を険悪にさせたテストは「公民」のテストでした。
社会科が好きな娘がすんなり頭に入ってこない、クラスのみんなも同様なのはなぜだろう?と思考した結果、たどり着いたのは公民には分かりやすい「物語」がないという結論でした。
私もこの分野が苦手でしたが、高校2年生の時に転機がありました。
政治経済のテストで、憲法前文を暗写するというのがあり、そこで必死になって覚えた結果、日本の法律や政治体制の起点となる憲法の成り立ちを、朧気ながらも記憶に刻みました。
いわば憲法前文は物語のプロローグ。
それを思い出し、書棚から山崎聡一郎著「こども六法」を取り出し、娘と憲法前文を一緒に読みました。
基本的人権を重んじた憲法については、思うところはあります。
『戦後の政治主導者たちは、個人主義を甘く見ていた。』
様々な偉人たちが文章を残しています。
日本人は積み上げてきた文化的価値観に加え、個人主義を上手く使いこなせると思っていたようですが、偉人たちの目にはそうは映っていないようです。
ただ、海外での評価は違います。
例を挙げるならば、高齢者の地位。
自主と独立を善とする個人主義の本場ともいうべきアメリカでは、その善を維持できない高齢者の社会的地位は低いのです。
特に病院の医療体制は顕著で、「年齢に基づく医療資源の配分」という規定があり、医療資源が限定的であった場合は、高齢者の優先順位は低いのです。
日本は文化的価値観として「孝」という考え方を持っているので、アメリカのようなことは起こりません。
そういった文化を持たない国の人たちからすれば、日本人は羨望の眼差しを受けているのも事実です。
では、なぜ日本人は「孝」を大切にしてきたのでしょうか?
自然豊かな国、日本。
それは同時に、地震や台風、疫病など10年単位で数百から数千の人が自然災害で命を落とす、地球上で類を見ない風土を持つ国でもあります。
それゆえ「孝」を大切にしてきた理由の一つに、高齢者の積み重ねた知識や経験などの記憶が、命を繋ぐ生命線だったからと言えます。
テストの話に戻ります。
物事は物語を読むように捉えることで記憶として定着しやすいです。
物語と記憶には少なからず関係性があります。
近年、物理学では時間の存在が怪しいと定義付けられつつあります。
どうやら私たち人間は、記憶と記憶を結ぶ物語を時間として認識しているようなのです。
時間軸で言う過去は「回想的記憶」と定義されるのに対し、未来はどのように定義されているのか。
それは「展望的記憶」と定義されています。
蓄積された知識や経験などの記憶を使い、展望した物語が未来となる。
展望の仕方は私たちに委ねられている。
記憶の重ね方もそうですが、考え方も大切なのだと感じさせます。
参院選が公示されました。
憲法前文の冒頭にあるように、私たちは、私たちと私たちの子孫のために、正当に選挙された国会における代表者を通じて、未来に向けて行動します。
どんな日本であって欲しいか。
どんな沼津であって欲しいか。
子供達、その先の子供達の為に、身の丈かもしれませんが、私の持ち合わせた記憶の中で展望した物語と照らし合わせて、一票を投じたいと考えています。


