街に本屋がある風景(2022年5月25日掲載)
45歳、子育て中の4児の父親です。
常日頃、子供達には情報化社会の中でも多角的で本質的な情報を得るためにも本を読む習慣を持ってほしいと考えています。
先日そんな子供達を連れて、今月末で閉店するマルサン書店仲見世店を訪れました。
図書館とは違う感覚で本に触れられる環境。
数多くの本を手に取り、それぞれが気に入ったものを購入して帰りました。
私の読書の目覚めは遅く、30歳になってから様々な本に触れ始めました。
ちょうどその頃に沼津の街に愛情の深い建築デザイナーと知り合い、彼と話す機会が増えるのですが、彼は沼津の街に本屋があるという環境が続いて欲しいと願っていて、ポリシーとしてどんなに待つことになっても、本はマルサン書店で取り寄せて購入していると話して下さいました。
私はその考えに共感し、絶版している本以外は地元の本屋で購入していたのですが、そのお店は閉店してしまい、ここ数年はマルサン書店仲見世店で本を購入していました。
先日取り寄せをお願いしていた本を頂いてきたのですが、この空間で本を受け取ることも最後になるのかと思うと、やはり寂しい気持ちになりました。
情報化社会が進み、私たちは様々な情報を容易に手に入れることができるようになりました。
本に関しても、様々な方が本の内容を抽出した文章や本の内容を解説した文章をインターネットに投稿されていることもあり、本を実際に手に取らなくても、簡易的に本の内容を知ることができるようになりました。
もちろん私もこの環境の恩恵に浴しています。
ただそれでも本を購入し手に取り続けるのは、前述した今は亡き建築デザイナーの思いもあるのですが、デカルト「方法序説」の一節にも共感したからというのもあります。
「私の本を読んでも、私がこういう風に考えていたと言わないでほしい。」
デカルトのこの願いは、人間の本質をついていますし、本を通じて時間と場所を飛び越えた著者と読者の間に生まれた情緒と言いますか、文章を超えた関係性はなかなか表現しがたいとも感じます。
本を手に取る醍醐味とはこういうことなのだろうかと感じています。
現在、日本語は覚える文字が多く子供達が大変だという声があります。
英語圏はアルファベット24文字と数字、多少の記号的文字を覚えれば使えるのに対して、ひらがな51文字、カタカナも51文字、算用数字だけでなく、表意文字でもある常用漢字2136字、漢字に関しては音訓の読みもあり、熟語もある。
成人までに日本語を習得するのだけで精一杯という声には読書が苦手だった私も共感ができます。
ただ、使い慣れると日本語の文章は非常に読みやすい。
漢字の羅列だけでなんとなくの意味は推察できますし、ひらがなやカナカナ、漢字と表記を代えたり、常用外漢字を扱ったりすることで、情感を持たすことも出来ます。
文字数の少ない英文は全ての文章がひらがなで書いてあるとイメージしてみて下さい。
フォントの違いで表記の違いを表せても、視覚的に文章に情緒を持たすことは難しいと思います。
また、文脈で推測できるにせよ、似たようなスペルは気を付けないと誤読してしまうこともあります。
世界的に難しい言語と分類されている日本語ではありますが、習得すればこれほど便利な言葉はないと感じます。
最近、本を読む最良のタイミングは子供ではなく成人になってからなのではと感じます。
茶道や武道において、まずは「型」を重んじます。
型がしっかり淀みなくできると、自然と所作に心が入るようになり、世界観を感じることができる。
成人までに日本語の型を覚えたならば、本を読むことで、文面だけでなく、作者の思いや背景、文章から広がる情緒や世界観などが自然と見えてきて本と心が一体になるような感覚を得られるではないかなと感じます。
今月末でまた一つ街から本屋が無くなってしまいます。
子供達が日本語を活用できるようになった頃、街に本屋はあるのでしょうか?
再開発後の街の中心に本屋がある世界を願いつつ、一時の別れを惜しみ、お子さんと街の本屋の世界を楽しんで頂ければと思います。


